おともだちの家
一 ゆうすけくん
息子が五歳の頃の話だ。
保育園から帰ると、息子はよく近所の公園で遊んだ。そのうち、「ゆうすけくん」という名前が会話に出るようになった。
「きょうもゆうすけくんとあそんだ」
「ゆうすけくんち、すごいんだよ。おかしがいっぱいあるの」
同じ園にゆうすけという子はいない。近所の子だろうと思っていた。ある日、妻が聞いた。ゆうすけくんのおうち、どこにあるの?
息子は、こともなげに答えた。
「こうえんのおくの、みちのつきあたり」
公園の奥に、道はない。フェンスと、雑木林があるだけだ。
妻と顔を見合わせた。子どもの空想。五歳ならよくあることだ。私たちはそう処理した。処理しきれなくなったのは、息子がポケットから「おみやげ」を出すようになってからだ。
古い飴玉だった。見たことのない包み紙の、瓶詰めの時代のような飴。それから、めんこ。ブリキの車。どれも、今の子のおもちゃではなかった。骨董市で並ぶような品ばかりだった。
「ゆうすけくんの おかあさんが くれた」
妻が青くなって、翌日、公園の奥を見に行った。フェンスの向こうは市の保安林で、人が入った跡すらなかった。家など、あるはずもなかった。
二 つきあたり
私たちは息子に、ゆうすけくんと遊ぶのを禁じなかった。禁じ方が、分からなかったのだ。見えない友達を禁じても、親の見えないところで会うだけだ。代わりにルールを作った。おやつは食べずに持って帰る。暗くなる前に帰る。そして「おうちには上がらない」。
息子は、最後のルールだけ、渋った。
「でも、ゆうすけくんち、たのしいんだよ。おにわに、いけがあって、こいがいてね。おざしきで、おはじきするの」
座敷。鯉のいる池。五歳児の語彙ではなかった。
私は半信半疑のまま、市の図書館で郷土資料を漁った。うちの町の古い住宅地図だ。そして、見つけてしまった。
昭和三十年代の地図には、あの公園はなかった。代わりに、道が一本、今のフェンスの位置から奥へ伸びていた。突き当たりに、一軒。「田島」という表札の家が載っていた。庭に池のある、大きな屋敷だったらしい。
司書のおばあさんが、地図を覗き込んで教えてくれた。
「田島さんのお屋敷ね。昔、火事でね。一家で亡くなったのよ。ぼっちゃんがひとりいてね。……そう、たしか、ゆうすけくん。私、小学校で一緒だったから」
その夜、私は息子に、できるだけ穏やかに言った。ゆうすけくんとは、もう遊べない。すると息子は、泣くかと思いきや、静かに首を振った。
「しってるよ。ゆうすけくん、いっつもいうもん。『ぼくのことは、おおきくなったら わすれちゃうんでしょ』って。だから パパ、おこらないで。ゆうすけくんは、ともだちが できるまでの ともだちなんだって。じぶんで いってた」
切ない話だ。ここで終われば。
終わらなかった。息子は続けたのだ。
「でもね、ゆうすけくんの おかあさんは、ちがうんだって」
「……なにが、ちがうの」
「ゆうすけくんの おかあさんは、ぼくのこと、『ずっと うちのこに ならないかな』って。まいかい いうの。きょうもいってた。『こんど、とまっていきなさい』って。おふとん、もう ほしてあるって」
三 泊まりにおいで
それからの数週間は、静かな戦争だった。
私たちは息子を公園に近づけないようにした。習い事を増やし、休日は遠出をした。息子は素直に従った。ゆうすけくんの名前も、だんだん出なくなった。安心しかけていた。
梅雨の晴れ間の土曜、事件が起きた。
昼寝をしていたはずの息子が、家からいなくなった。玄関の鍵は閉まったまま。窓も全部、内側から施錠されていた。それなのに、息子の靴だけが、玄関から消えていた。
警察を呼ぶ前に、私は公園へ走った。確信があった。フェンスの前まで来て、私は自分の目を疑った。
フェンスの金網が、一箇所、子どもひとりぶんだけ、めくれていた。その先の雑木林の下草が、細い一本道の形に、きれいに踏み分けられていた。──ないはずの道が、そこだけ、あった。
私は突っ込んだ。枝で顔を切りながら走った。道は妙に長かった。雑木林の広さからして、五十メートルもないはずが、走っても走っても突き当たらない。やがて、木々の向こうに、生け垣と、瓦屋根が見えた。
古い、大きな屋敷だった。焼けた匂いが、かすかにした。
開け放した縁側に、息子が座っていた。誰かと向かい合って、おはじきをしていた。相手の姿は、私には、陽炎のようにしか見えなかった。ただ、座敷の奥の暗がりに、女の人の輪郭が立っているのは、はっきり分かった。着物の、影のような人。それが、ゆっくりとこちらに顔を向けた。顔のあるべき場所で、何かが、にこ、と動いた。
私は息子の名前を呼んだ。ありったけの声で。
息子が振り向いて、「あ、パパ」と笑った。その瞬間、景色が、たわんだ。次の記憶では、私は雑木林のフェンスの内側で、息子を抱きしめて座り込んでいた。道は、消えていた。
息子は、けろりとしていた。
「ゆうすけくんとね、おわかれしてきたの。ぼく、いっしゅうかんの おとまりは できませんって。そしたら ゆうすけくん、わかったって。でもね」
息子は、少し困った顔で、私を見上げた。
「おかあさんが、おこってた。『いちど あがった こは、うちのこ』なんだって。でも だいじょうぶ。ゆうすけくんが、じかんを かせいでくれるって」
あれから十五年たつ。息子は今年、成人した。何事もなく育った。ゆうすけくんの記憶も、本人はもうほとんどないと言う。
ただ、去年から、妙なことが続いている。
息子宛てに、差出人のない葉書が届くのだ。古い、変色した葉書。文面は、毎回一行だけ、増える。
一通目「おげんきですか」
二通目「おげんきですか。ぼくは もう じかんが かせげません」
三通目「おげんきですか。ぼくは もう じかんが かせげません。おかあさんが おふとんを ほしています」
消印は、存在しない郵便局の名前だった。調べると、昭和三十八年に廃止された局だった。田島家が焼けた年に。
息子は来月から、就職で一人暮らしを始める。新居は自分で決めてきた。「公園の近くで、静かでいいとこ」だと嬉しそうに言う。私はまだ、その部屋を見に行けていない。間取り図の隅に書かれた「和室・押入・縁側風ウッドデッキ」の文字を、ずっと見ている。縁側のある新築アパートなんて、あるだろうか。