祭りの晩
母の郷里の村には、夏の終わりに「裏祭り」があった。
昼間の祭りは普通だった。神輿が出て、屋台が並んで、子どもが綿菓子を持って走り回る。おかしいのは、その晩だ。
日が落ちると、村人は皆、家に入る。雨戸を閉め、明かりを落とし、テレビも消す。そして誰も、外を見ない。夜の間、太鼓の音だけが、村の通りをゆっくり一周する。どん、……どん、……と、昼間の祭り囃子とは似ても似つかない、間延びした太鼓が。
「昼のお祭りは、人間の分。夜のは、そうでないものの分」
と、祖母は言った。
「一年に一晩だけ、あの人たちにも通りを歩かせてあげるの。だから覗いちゃいけない。見物人がいたら、あの人たちが恥ずかしがるでしょう」
恥ずかしがる、という言い方が、子ども心に妙に印象に残った。怖がらせる言い方をしないのが、かえって怖かった。
小学六年の夏、私はその晩を、村の従兄の家で過ごした。従兄は同い年で、悪知恵の働く子だった。夜中、太鼓の音が近づいてくると、従兄は私の袖を引いて、押し入れの中に引っ張り込んだ。押し入れの壁板には、節穴がひとつあって、通りが見下ろせるのだった。
「去年も見たんだ。平気だって」
従兄は先に穴に目を当てて、私に実況してくれた。
「来た来た。提灯だ。行列だよ。……人が、いっぱい歩いてる。白い着物の。へえ、ちゃんと祭りっぽいな。踊ってる人もいる」
「顔は? 顔、見える?」
「うーん、みんな下向いてて……あ」
従兄が、言葉を切った。
「どうしたの」
「……一人だけ、こっち見てる」
私は結局、覗かなかった。従兄がすぐに穴から目を離して、無言で押し入れを出たからだ。廊下の常夜灯の下で見た従兄の顔は、紙のように白かった。太鼓の音は、家の前をゆっくり通り過ぎ、遠ざかっていった。
「見てたのって、どんな人だった」
「わかんない。遠かったし。ただ……」
従兄は、しばらく黙ってから言った。
「あの節穴、こっちから覗くと、指の先っぽくらいの大きさしかないんだ。通りから見たら、二階の壁の点だよ。なのにあの人、行列の中で立ち止まって、まっすぐこっちに顔を向けてた。……穴、覗き返された」
その夜は、それで終わった。何も起きなかった。
変わったのは、従兄のほうだ。
次の年から、従兄は祭りの晩になると熱を出すようになった。決まって裏祭りの晩だけ、三十九度の熱を出し、うわごとを言う。医者は夏風邪だと言った。祖母は何も言わずに、従兄の枕元に塩を盛った。
熱は、成人しても続いた。従兄は村を出て、東京で就職したが、それでも夏の終わりのその晩だけは、必ず熱を出した。会社を休み、アパートで一人で寝込む。そして毎年、熱に浮かされながら、同じ夢を見るのだと言った。
「白い行列がさ、俺の部屋の前の廊下を歩いてるんだ。アパートの三階だぜ? で、太鼓がどん、どん、って。行列は毎年、少しずつ長くなってる。先頭が通り過ぎても、まだ続いてる。それでな」
従兄は、酒の席でそこまで話して、笑おうとして、失敗した。
「毎年、行列の最後尾が、ちょっとずつ、うちのドアに近くなってるんだよ。去年はとうとう、ドアの前で止まった。ノックされたよ。とん、とん、って。夢の中でだけどな。……なあ、あれ、開けなかったら、いつまで来ると思う?」
私に答えられるわけがなかった。ただ、祖母が昔言っていたことを伝えた。恥ずかしがるから見るな、という、あの言い方を。見られた側ではなく、見た側が付け回されるのは、理屈が通らない気がした。
すると従兄は、意外なほど素直に頷いて、ぽつりと言った。
「いや、通ってるよ、理屈は。……俺あのとき、覗いただけじゃないんだ。目が合った瞬間、やべ、って思って──笑ったんだよ。愛想笑いって言うのかな。誤魔化そうとして、へへって。そしたら向こうも、笑い返してきたんだ」
「初耳だけど」
「言えるかよ。……なあ、あれってさ、挨拶しちゃったってことに、ならないかな。顔見知りに、なっちゃったってことに」
去年の夏の終わり、従兄から深夜にメッセージが来た。
《今年は熱が出ない。初めてだ。治ったのかも》
その一時間後に、もう一通。
《太鼓の音がする。夢じゃなくて、外から。窓の下、見てもいいと思う? だってあいつら、知らない仲じゃないし》
私は「見るな」と返した。既読は、今もついていない。
従兄と連絡が取れなくなって、一年になる。アパートの部屋はきれいなもので、事件性はないそうだ。ただ、玄関のドアの外側に、擦り跡があったと、伯母から聞いた。何十人もの人が、順番に手のひらで撫でていったような、腰の高さの、横一列の跡が。
今年も、裏祭りの晩が近い。私は都内の自宅の雨戸を、生まれて初めて閉めようと思っている。太鼓の音は、去年より、少しだけ近くで鳴る気がする。