通行止め
運送会社でトラックに乗っていた頃、先輩に高梨さんという人がいた。
無口だが面倒見のいい人で、新人の私に深夜ルートのコツをいろいろ教えてくれた。どこのパーキングの仮眠が快適か。どこの峠は霧が出るか。そして、ひとつだけ、妙な教えがあった。
「県道の旧トンネルな、夜中に誘導員が立ってることがある。赤い誘導棒振って、『通行止め、迂回して』って。──あれには絶対、従え」
「工事なんてしてないですよね、あそこ」
「してない。会社にも警察にも、そんな届けは出てない。でも従え。迂回すると三十分損する。それでも従え」
理由を聞くと、高梨さんはしばらく黙って、教えてくれた。
十年前、高梨さんは同期の運転手と、同じ深夜便を走っていた。ある晩、例のトンネルの手前に、誘導員が立っていた。ヘルメットに反射ベスト、赤い誘導棒。「この先通行止めです、旧道へ迂回してください」と。
高梨さんは従った。三十分遅れで配送センターに着くと、同期はまだ着いていなかった。同期はその晩、無線でこう言っていたそうだ。
「工事の予定なんかねえよ。あんなの無視無視。突っ切るわ」
同期のトラックは、トンネルの中で見つかった。事故ではない。路肩にきちんと停まって、ハザードまで焚いて。ただ、運転席が空だった。エンジンはかかったまま、ドアはロックされたまま、内側から。同期は今も見つかっていない。
「それから何度か、俺もあの誘導員に会った。そのたび従った。だからこうして生きてる。いいか、あれはな、通せんぼしてるんじゃない。あれは──」
高梨さんはそこで言葉を切って、それきりその話はしなくなった。
私自身が誘導員に会ったのは、入社三年目の梅雨の晩だ。
小雨のトンネル手前に、ぽつんと立っていた。反射ベストが濡れて光っていた。徐行して近づくと、誘導棒が迂回路のほうへ、ゆっくり振られた。顔は、ヘルメットと雨と暗さで、よく見えなかった。ただ、口元だけが見えた。誘導員は、にこにこしていた。
私は従った。旧道に入る直前、ミラーの中で、誘導員がこちらに深々とお辞儀をするのが見えた。
翌朝、ニュースになった。その晩、例のトンネルの中で天井の照明ユニットが落下していたのだ。深夜二時ごろと推定、通行車両なし、負傷者なし。私が通るはずだった時刻の、ちょうど五分前だった。
なんだ、と思った。守り神みたいなものじゃないか、と。高梨さんの同期の話とは、ずいぶん違う。次に会ったら、窓を開けて礼でも言おうか。そんなことを考えていた。
それを高梨さんに話すと、彼は初めて、私を怒鳴りつけた。
「礼だけは言うな! 窓も開けるな! 停まるな!」
そして、十年前に言いかけてやめた続きを、ようやく話してくれた。
「あれはな、通せんぼしてるんじゃない。選んでるんだ。従う奴と、従わない奴に、ふるいにかけてる。従わない奴は、その晩のうちに連れていかれる。従う奴は……覚えられる。俺はもう二十回以上、あいつの誘導に従った。最近な、あいつ、俺のトラックが見えると、誘導棒を振る前に、手を振るんだよ。よう、って感じでな。……で、この間はとうとう、助手席側の窓を、外から叩かれた。走行中にだぞ。ガラスの向こうで、にこにこしながら、口だけ動かして、こう言ったんだ。『いつも、ありがとうございます。こんど、のせてください』」
高梨さんは今年、退職した。理由は聞いていない。送別会で、彼は私に段ボール箱をひとつくれた。開けると、お守りがぎっしり入っていた。全国の神社のもので、どれも運転安全のお守りだった。全部、少し焦げたような臭いがした。
「餞別だ。……あのルート、次はお前が走るんだろう」
先週、私はまた誘導員に会った。雨も降っていない、よく晴れた晩だった。トンネルは、どう見ても異常がなかった。それでも誘導棒は迂回路を指し、私は従った。
すれ違いざま、誘導員は私のトラックに向かって、手を振った。よう、という感じで。
私は前だけを見て通り過ぎた。ミラーは見なかった。ただ、通り過ぎたあと、助手席のドアの外側で、とん、とん、と二回、ノックの音がした。時速五十キロで走る車の、助手席の外で。──次に停まれと言われたら、どうすればいいのか、もう教えてくれる先輩はいない。