トンネルの点検口
俺は高速道路の保全会社に勤めている。
担当は山間部にある長いトンネルの点検だ。夜間に通行止めにして、トンネル内の壁や照明、換気設備を点検して回る。地味だが大切な仕事だ。
そのトンネルは全長四キロ近い古いトンネルだった。建設は五十年以上前。工事中に落盤事故があり、何人もの作業員が亡くなったといういわくつきの場所でもあった。
トンネル内には一定間隔で「点検口」がある。壁に埋め込まれた鉄の扉で、その奥は避難通路や設備点検用の空間になっている。俺の仕事の一つは、この点検口を順に開けて内部の異常を確認することだった。
先輩から引き継ぎを受けたとき、一つだけ奇妙な注意を受けた。
「トンネルのちょうど真ん中あたりに、番号のない点検口が一つある。図面にも載ってない。あれだけは絶対に開けるな。何があってもだ。──あれは点検口じゃないからな」
点検口にはすべて番号が振ってある。一号、二号と順番に。だが確かに、トンネルの中央付近に番号のプレートがない扉が一つあった。他の点検口と同じ鉄の扉だが、そこだけ番号がない。そして他の扉より少し古びて、赤錆が浮いていた。
俺は先輩の忠告を守り、その扉だけは開けずに通り過ぎていた。
だが点検を続けるうち、俺はその番号のない扉にまつわる奇妙なことに気づき始めた。
点検でその扉の前を通るたび、扉の向こうからかすかに音がするのだ。こつ、こつ、こつと、金属を内側から規則正しく叩くような音。まるでモールス信号のように、誰かが閉じ込められて助けを求めているように聞こえた。
俺は無視した。先輩の忠告があった。開けてはいけない。だが、その音は夜ごとに少しずつ大きくなっていった。こつ、こつが、どん、どんに。そしてある晩、叩く音に混じってくぐもった声が聞こえた。
「……開けてくれ。ここから出してくれ。落盤で生き埋めになった。まだ生きてる。助けてくれ」
俺は震え上がった。だが同時に、もし本当に誰かが閉じ込められているとしたら、とも思った。五十年前の事故の生存者なんてことはありえないが、もし最近誰かが迷い込んで、この避難通路に閉じ込められているとしたら。
俺は先輩に電話した。あの番号のない扉の向こうから助けを求める声がする、と。先輩は電話の向こうでしばらく黙った。それから低い声で言った。
「……聞こえるようになったか、あの声が。いいか、よく聞け。あの扉の向こうにいるのは生きた人間じゃない。五十年前、落盤で生き埋めになった作業員たちの成れの果てだ。あいつらは助からなかった。真っ暗な瓦礫の中で何日も生きたままもがいて、誰にも助けてもらえずに死んだ。だから今も生きてると思ってる。誰かに助けてほしいと叫び続けてる。──だが、あの扉を開けたら、あいつらは外に出るんじゃない。開けたお前を中に引きずり込む。『やっと助けが来た』と勘違いして、お前を瓦礫の代わりに抱きしめて離さない」
俺は絶対に開けない、と誓った。だがその日から、声は俺の名を呼ぶようになった。どうして俺の名を知っているのか。
「なあ、頼むよ。あんただけが頼りなんだ。俺には家族がいる。妻と子どもが待ってるんだ。家に帰らなきゃならない。開けてくれ。ほんの少しでいい、隙間を作ってくれれば自分で這い出す。頼む。同じ現場で働く者同士じゃないか」
その声は日ごとに切実さを増していった。そして巧妙になっていった。俺の同情を引くように、俺の罪悪感を刺激するように。「見殺しにするのか」「あんたもいつか、こうなるかもしれないんだぞ」と。
ある嵐の夜、俺はいつものようにトンネルの点検をしていた。
そして番号のない扉の前に来て凍りついた。扉が開いていた。ほんの少し、人一人が通れるほどの隙間。誰かが開けたのだ。俺ではない。他にこの時間、トンネルにいる者はいない。
隙間から冷たい風が吹き出していた。土と腐敗の匂いのする風。そしてその奥から声がした。今までとは違い、すぐ近くで、はっきりと。
「ありがとう。開けてくれて。やっと出られる」
俺は開けていない。誰かが、あるいは何かが内側から開けたのだ。俺は後ずさった。隙間から白い手が一本、また一本と伸びてきた。土にまみれ、爪の剥がれた何本もの手が、暗闇から俺の足首を掴もうとしていた。
俺は無線で応援を呼ぼうとした。だが無線はザザというノイズだけで繋がらない。声が続けた。
「一人でもいい。一人、代わりがいれば、俺たちのうちの一人が外に出られる。等価交換だ。お前がここに入れば、俺がお前になって家に帰る。妻と子どもの待つ家に。なあ、いいだろう。どうせお前、一人身で誰も待ってないんだろう」
なぜそれを知っている。俺は確かに一人身で、この深夜の仕事を続けているのも、家に帰っても誰もいないからだった。声は俺のいちばん痛いところを突いてきた。
俺は逃げなかった。逃げればあの手は俺を追ってくる。トンネルの外まで、そして俺の日常に入り込んでくる。俺は決意した。あの扉を閉めて、二度と開かないように封じる。それが点検口を預かる者の務めだ。
俺は点検車に積んであった溶接機を掴んだ。伸びてくる無数の手を避けながら、隙間に体重をかけて扉を押し戻した。手が俺の腕を、首を掴もうとする。声が悲鳴のように叫んだ。「やめろ。閉めるな。また暗闇に戻すのか。何十年も。もういやだ。出してくれ。頼む。頼む」。
その声はもう、恨みや脅しではなかった。ただ純粋な暗闇への恐怖、生き埋めの絶望。俺は泣きながら扉を閉めた。彼らの恐怖が痛いほど分かった。だが開ければ、俺が彼らになる。
扉が閉まった。俺は震える手で扉の縁を溶接した。鉄を溶かし、隙間を完全に塞いだ。内側からどんどんと叩く音、爪で掻き毟る音。何十本もの手が、閉じ込められた絶望が鉄扉越しに伝わってきた。俺は溶接を終えて、その場に崩れ落ちた。
それから俺は、その仕事を辞めた。トンネルの点検を続ける勇気は、もうなかった。番号のない扉は今も、あのトンネルの真ん中にある。俺が溶接で塞いだままだ。──だが辞める最後の日、俺は後任の若い作業員に、先輩が俺にしたのと同じ忠告をした。「番号のない扉だけは絶対に開けるな」と。若者は笑って頷いた。そしてこう聞いた。「でも先輩、あの扉、溶接で塞がれてますよね。もう開かないんじゃ」。俺は答えられなかった。なぜなら、辞める前の最後の点検で、俺が溶接したはずの扉の縁の溶接痕が、内側から少しずつ溶かされて剥がれかけているのを見てしまったから。彼らはまだ、出ようとしている。次に扉が開いたとき、それを開けるのは、あの若者かもしれない。あるいは、内側の彼ら自身かもしれない。