人形供養
私の実家は寺だった。
山の中腹にある古い禅寺で、檀家も少なく経営は苦しかった。父である住職は、その寺を一つの「副業」で支えていた。「人形供養」だ。
役目を終えた人形——雛人形、日本人形、ぬいぐるみ。持ち主が捨てるに忍びない人形たちを寺で預かり、読経して魂を抜き、焚き上げる。全国から供養の依頼が届き、それなりの収入になっていた。
寺の裏手には「人形堂」という専用のお堂があった。供養を待つ人形たちを一時的に安置する場所だ。何百、何千という人形が棚にびっしりと並べられて、焚き上げの日を待っていた。
子どもの頃、私はその人形堂が怖くてたまらなかった。無数の人形の目が、暗い堂の中で一斉にこちらを見ている気がして。
父は言った。「人形にはな、持ち主の想いが宿る。長く可愛がられた人形ほど想いが濃い。供養はその想いを丁寧に解いてあげる仕事だ。だから人形をぞんざいに扱ってはいけない。恨まれるぞ」
父が高齢で倒れ、私が寺を継ぐことになった。
僧侶としての修行は積んでいた。人形供養も父から作法を教わっていた。読経し、魂を抜き、焚き上げる。手順は単純だ。私は父の後を継いだ。
だが父から引き継ぎのとき、一つだけ奇妙な帳簿を渡された。「焚き上げ台帳」だ。供養した人形の数を記録する帳簿だが、それは「預かった数」と「焚き上げた数」を別々に記録するようになっていた。そして父は厳しい顔で言った。
「いいか。預かった人形の数と、焚き上げる人形の数は必ず合わせろ。一体でも合わないといかん。もし焚き上げの日に数が合わなかったら──足りないぶんを探し出すまで、焚き上げてはならん」
理由を聞くと、父は声を潜めた。
「人形の中には、魂が抜けるのを嫌がるものがおる。焚き上げられて消えるのを恐れて、供養の列から逃げ出すものがおるんじゃ。人形堂の棚から降りて、堂の隅や寺のどこかに隠れる。焚き上げの数が合わないときは、そういう人形が逃げたときだ。放っておくと、そいつは寺に棲みつく。そして生きた者の魂を抜こうとする。自分が消えないために、身代わりを探して」
私が寺を継いで、初めての焚き上げの日。
私は台帳を片手に、人形堂の人形を一体ずつ数えながら焚き上げ場へ運んだ。預かった数は台帳によれば三百二十八体。私は慎重に数えた。──三百二十七体。一体足りなかった。
私は血の気が引いた。父の言葉が蘇る。「足りないぶんを探し出すまで、焚き上げてはならん」。私は焚き上げを中断して、寺じゅうを探した。逃げ出した一体を。
それは日本人形だった。市松人形。おかっぱ頭の、赤い着物の少女の人形。台帳の写真と照合して間違いなかった。それが人形堂の棚から消えていた。
私は寺じゅうを探し回った。そして夕暮れ、本堂のご本尊の真後ろ、誰も入らない仏壇の奥の暗がりに、それはいた。市松人形。こちらに背を向けて、ちょこんと座って、まるで隠れんぼで見つかった子どものように。
私が手を伸ばすと、人形はゆっくりと首だけを回して私を見上げた。ガラスの目が濡れたように光って、そして小さな口が動いた。声はなかった。だが口の形で分かった。人形はこう言っていた。「やだ。やかれたくない」と。
私はその人形を掴んで焚き上げ場へ運ぼうとした。だが人形は私の腕の中で異様に重くなった。まるで子ども一人分の重さに。そして私の腕にしがみつくように、冷たい感触が絡みついた。
その夜から、私は悪夢にうなされるようになった。夢の中で、あの市松人形が私の枕元に立って、じっと私を見下ろしている。そして夜ごとに、人形は少しずつ私に近づいてくる。私の魂を抜こうと、父の言った通り、自分が焚き上げられないように、私を身代わりにしようと。
私は日ごとに衰弱した。朝起きると体が鉛のように重い。魂が少しずつ抜かれていくようだった。鏡を見ると、私の目がだんだん人形のガラスの目のように生気を失っていった。
私は倒れた父を見舞い、すがるように聞いた。逃げた人形に憑かれた、どうすれば。父は病床でかすれた声で言った。
「……焚き上げるしかない。だが憑いた人形は、もうお前を身代わりにしようとしている。抵抗する。焚き上げの火にくべても、火から逃げようとする。──いいか。焚き上げるとき、人形に名を付けてやれ。人形には名がない。名のないものは、この世に未練を持って留まろうとする。名を付けて『お前はもう役目を終えた。ありがとう』と言ってやれ。想いを解いてやるんじゃ。恐怖では人形は焚き上げられん。感謝でしか送れん」
私は父の言葉を胸に、焚き上げ場に立った。
あの市松人形を抱いて。人形は私の腕の中で暴れた。冷たい手が私の首を絞めようとした。ガラスの目が恨めしげに私を睨んだ。「やかないで。いっしょにいようよ。あなたのなかにはいれば、ずっといられる」と囁きながら。
私は震える手で、人形を焚き上げの炉の前に座らせた。そして父に教わった通り、読経を始めた。心を込めて、人形の想いを解くように。恐怖ではなく、慈しみを持って。
読経を終えて、私は人形に名を付けた。とっさに「ミサキ」と。理由は分からない。だがその名が口をついて出た。そして私は言った。
「ミサキ。長い間、誰かに可愛がられて、よく頑張ったね。お前の役目はもう終わったんだ。誰かの想いをたくさん受け止めて、ありがとう。もう休んでいいんだよ。怖くない。私がちゃんと送るから、安心しておいき」
人形の暴れが止まった。ガラスの目から、すっとあの恨めしげな光が消えた。そして人形は最後に、ふっと微笑んだように見えた。私は人形を火にくべた。今度は人形は逃げなかった。静かに炎に包まれて燃えていった。火の中から、小さな安堵のため息が聞こえた気がした。
焚き上げが終わると、私の衰弱は嘘のように回復した。魂が戻ってきた。あの市松人形は無事に送られたのだ。名をもらい、感謝をもらって。──それから私は、人形供養を続けている。父から継いだ務めとして。今では逃げ出す人形の気持ちが少し分かる。彼らはただ怖いのだ。消えるのが、忘れられるのが。だから私は、焚き上げるすべての人形に一体ずつ名を付けて感謝を伝える。何百体あっても省かない。──ただ最近、困ったことがある。焚き上げ台帳の「預かった数」が、時々私が数えた数より一体多くなっているのだ。まるでどこかから、名のない人形が一体、私に名を付けてもらいに列に並びに来ているように。私は、その余分な一体にも名を付けて送る。断れば、きっとまた誰かの魂を抜きにいくから。この務めに終わりはないのだと、私は思っている。