送り盆の晩
わしの名は言わずともよかろう。この村でいちばんの年寄りじゃ。
今年の盆にな。都会に出とった孫のタケルが、久しぶりに帰ってきよった。もう大学生じゃと。立派になりよって。わしは嬉しゅうてな。じゃがタケルは、この村のしきたりをもう知らん。無理もない。小せえ頃に村を出たからのう。
じゃからわしは、タケルに話して聞かせたんじゃ。この村の送り盆の掟をな。孫よ、よう聞け。これは笑い話でも作り話でもない。この村で何百年も守られてきた、本当の掟じゃ。守らねば命にかかわる。
タケルははじめ、へらへら笑うとった。「じいちゃん、今どきそんな迷信」とな。じゃがわしが真顔で話すのを見て、だんだん笑わんようになりよった。ようやく聞く気になったか。よし。ならば話そう。送り盆の晩のことを。
盆の十六日。送り盆の晩じゃ。
この日は、あの世に帰る先祖の霊を送り出す日。どこの村でもやることじゃ。じゃがこの村のは少し違う。十六日の日暮れになると、村じゅうの家がいっせいに戸を閉ざす。雨戸も窓も玄関も、ぴっちりとな。そうして家の者を数えるんじゃ。
「一人、二人、三人……」とな。家におる者を一人ひとり指さして数える。父、母、子、じいさん、ばあさん。全員揃うとるか。数が合うとるか。ちゃんと確かめる。これがいちばん大事な掟じゃ。
なぜそんなことをするか。タケルが聞きよった。わしは答えた。「送り盆の晩にはな。あの世に帰るはずの霊に混じって、帰りとうない悪いモンがこの世に居残ろうとして、生きた者の家に紛れ込むんじゃ。家族のふりをしてな」。数がちょうどならよい。じゃがもし数えて一人多かったら。……その余分な一人が悪いモンじゃ。生きた家族の誰かに化けて紛れ込んどる、ということじゃ。
タケルが青い顔で聞きよった。「もし一人多かったら、どうするの」と。
わしは声を低めて言うた。「なんもするな。それが掟じゃ。気づいても騒ぐな。指ささず、名も呼ばず、ただ静かに朝まで待て。──翌朝になれば、その家からは必ず一人消えとる。悪いモンが化けとった本物の家族を、一人あの世へ連れていくんじゃ。身代わりにな。じゃがそれはもうどうにもならん。運が悪かったと諦めるしかない。騒げばもっと悪い。家じゅう皆、連れていかれる」
むごい掟じゃ。わしもそう思う。じゃがこれは村が生き延びるための知恵じゃった。昔この村は大きな飢饉に遭うてな。口減らしのために、年寄りや赤子を山に捨てた。その無念の霊が盆に帰ってきて、生きた者を道連れにしようとする。一人差し出せば残りは助かる。……そういう悲しい成り立ちの掟なんじゃ。
タケルは黙って聞いとった。そしてぽつりと言うた。「じいちゃん。じゃあ今夜、うちも数えるの」。ああ、とわしは頷いた。今夜が十六日。送り盆の晩じゃ。日はもう暮れかけとる。わしは立ち上がって、家じゅうの戸を閉ざし始めた。タケルも手伝うた。
戸をすべて閉ざして、わしとタケルは囲炉裏の間に座った。
この家におるのは、わしと婆さんと息子夫婦。それに帰ってきたタケル。……五人じゃ。わしはゆっくりと数え始めた。「一人」——わし。「二人」——隣の婆さん。「三人」——息子。「四人」——嫁。「五人」——タケル。……五人。ちょうど五人じゃ。わしはほっと息をついた。よかった。数が合うとる。今年も無事じゃ。
そう思うた、その時じゃ。婆さんがわしの袖をそっと引いた。そして囲炉裏の火を見つめたまま、蚊の鳴くような声で囁いたんじゃ。「じいさん……もういっぺん数えなされ。今の五人には、囲炉裏の火の向こうに座っとる、あの子が入っとらんじゃろう」
わしはぞっとした。囲炉裏の火の向こう。そこにもう一人座っとった。俯いて、こちらに顔を見せずに。……いつからおった。誰も呼んどらん。わしは震える声で数え直した。「一人、二人、三人、四人、五人……六人」。六人おった。一人多い。掟の通りじゃ。この家に悪いモンが紛れ込んどる。家族の誰かに化けて。
わしは掟を思い出した。騒ぐな。指ささず、名も呼ばず、ただ朝まで待て。わしは婆さんの手を握って、息子夫婦に目で合図した。動くな、と。皆、掟を知っとる。青い顔でじっと俯いた。囲炉裏の火だけがぱちぱちと鳴っとった。火の向こうの六人目は動かん。ただ俯いたまま。時々くっ、くっと、忍び笑いをするように肩を揺らしながら。
長い長い夜じゃった。誰も口をきかん。誰も動かん。ただ朝を待った。誰が消えるんじゃろう。わしか。婆さんか。息子か。嫁か。……それともタケルか。せっかく帰ってきた孫が。わしはそれがいちばん恐ろしかった。頼む。タケルだけは。この老いぼれを連れていってくれ。わしは心の中でそう祈り続けた。
やがて東の空が白んで、鶏が鳴いた。朝じゃ。わしはおそるおそる顔を上げた。囲炉裏の火の向こうの六人目は、もうおらんかった。消えとった。……そして家族を見回した。わし。婆さん。息子。嫁。……タケルがおらんかった。孫の姿がどこにも。座布団だけがぽつんと残って、まだぬくもりがあった。──いや。待て。よう考えたらおかしいんじゃ。ゆうべ囲炉裏を囲んどったのは五人。数えて六人になった。一人多かった。じゃが朝、消えたのは一人。なら残るのは五人のはず。なのに今この家におるのは、わしと婆さんと息子と嫁の四人だけ。一人足りん。タケルはほんとうにゆうべ帰ってきたんか。それとも送り盆の晩に、タケルの顔をして紛れ込んだあれが、最初から六人目だったんか。わしにはもう分からん。分からんが、これだけは言える。孫のタケルは、もう何年も前に都会で事故で死んどる。──わしはそれをずっと忘れとった。ゆうべあれが来るまで。