三分怪談

3分で読めるホラー掌編

長編 第二十八話 — 読了目安 約20分

彼女はまだ待ってる

僕は、気の弱い人間だ。人に、はっきり「嫌だ」と言えない。この話は、その弱さが、招いたことなのかもしれない。

高校時代、ミサキという同級生がいた。おとなしくて、目立たない子だった。ある日、その子から、告白された。僕は、その子のことを、なんとも思っていなかった。だから、断るべきだった。でも、僕は、はっきり断れなかった。傷つけるのが、怖くて。「ごめん、今は、そういうの、考えられなくて」と、曖昧なことを言った。「今は」なんて、言うべきじゃなかった。それは、いつか、可能性がある、という意味に、聞こえてしまう。

ミサキは、その一言に、すがってしまった。以来、彼女は、僕のことを、「まだ返事を保留している、恋人候補」だと、思い込んだ。毎朝、僕の下駄箱に手紙を入れ、休み時間ごとに、僕の席の近くに立ち、下校時には、少し後ろをついてくる。僕は、困り果てた。でも、やっぱり、はっきりとは、拒めなかった。気の弱い僕は、ただ、彼女を、避けることしか、できなかった。

高校を卒業して、僕は、彼女から逃げるように、遠くの大学へ進んだ。連絡先も、変えた。これで、終わった。そう思っていた。

ミサキが死んだと知ったのは、それから、二年後だった。共通の同級生から、聞いた。事故だという。そして、その同級生は、言いにくそうに、こう付け加えた。「ミサキ、最後まで、お前のこと、『彼氏』だって、言ってたらしいよ。お前が、いつか、迎えに来てくれるって。──ずっと、待ってたんだって」

それから、彼女は、僕のそばに、いるようになった。

最初は、気配だけだった。一人暮らしの部屋で、ふと、視線を感じる。振り返ると、部屋の隅に、誰かが立っている気がする。でも、目を凝らすと、誰もいない。気のせいだと、思うようにした。

だが、彼女は、少しずつ、姿を、はっきりさせていった。半透明の影から、輪郭のある人の形へ。そして、ある夜、僕は、はっきりと、見た。ベッドの脇に、正座して、僕の寝顔を、じっと見つめている、ミサキを。高校のときの、制服姿のまま。少し、微笑んで。まるで、恋人の寝顔を、愛おしむように。

僕は、悲鳴を上げて、飛び起きた。だが、ミサキは、消えなかった。むしろ、嬉しそうに、言った。生きていたころと、同じ、控えめな声で。

「やっと、気づいてくれたんだね。わたし、ずっと、そばにいたんだよ。高校のときから、ずっと。……これからは、もう、離れないから。だって、わたしたち、恋人だもんね」

僕は、逃げようとした。部屋を飛び出しても、実家に帰っても、彼女は、必ず、僕のそばにいた。半歩後ろに、寄り添うように。二十四時間、片時も、離れずに。僕が、トイレに入っても、風呂に入っても、ドアの向こうで、静かに、待っている。「早く出てきてね」と、囁きながら。

害がないなら、まだ、我慢できたかもしれない。だが、ミサキは、嫉妬深かった。

僕に、少しでも、親しくする女性がいると、その人に、不幸が、降りかかった。大学のゼミで、僕とペアになった女子は、次の日、階段から落ちて、大怪我をした。バイト先で、僕によく話しかけてくれた先輩は、原因不明の体調不良で、辞めていった。

僕は、恋愛なんて、できなくなった。誰かを、好きになりかけると、その相手に、必ず、ミサキが、取り憑いた。彼女は、僕のそばで、囁くのだ。「あの女の人、だめだよ。わたしという、恋人がいるのに。……ちゃんと、あの人には、消えてもらうから、安心してね」

僕は、一人で、生きていくしかなくなった。三十を過ぎ、四十が近づいても、僕は、独身のままだった。友達も、少しずつ、離れていった。僕のそばには、いつも、あの、制服姿のミサキが、寄り添っている。時が止まったように、高校生のまま。歳を取った僕の隣で、いつまでも、十七歳の恋人として。

僕は、ある霊能者に、相談した。彼女を、成仏させてほしい、と。その人は、ミサキの気配を、しばらく感じ取ってから、困った顔で、言った。

「これはね、恨みじゃないんですよ。純粋な、片思いなんです。だから、ほとんど、祓えない。恨みなら、あなたが謝れば、解ける。でも、これは、あなたのことが、ただ、好きなだけ。好きすぎて、離れられないだけ。──あなた、生きているとき、この子に、はっきり『嫌いだ』『付き合えない』と、言いましたか?」

僕は、言えなかった、と答えた。気が弱くて、曖昧にしたまま、逃げた、と。霊能者は、ため息をついた。

「それが、いけなかった。この子は、まだ、『振られていない』んです。だから、待ち続けている。あなたの、返事を。──方法は、一つ。あなたが、はっきりと、この子に、伝えることです。もう、待たなくていい、と。生きているうちに、できなかった、その一言を。……ただし、覚悟してください。拒まれた、と分かった瞬間、この子が、どう出るかは、分かりません。純粋な想いは、裏返ると、いちばん、恐ろしい」

僕は、決心した。生まれて初めて、はっきりと、彼女に、伝えることにした。

その夜、僕は、隣に寄り添うミサキに、向き合って、言った。声が、震えていた。「ミサキ。ずっと、言えなくて、ごめん。……でも、僕は、君とは、付き合えない。高校のときも、今も。君の気持ちには、応えられない。だから、もう、僕を、待たないで。成仏して、ほしい」

ミサキの、微笑みが、すっと、消えた。長い、沈黙があった。彼女は、うつむいて、それから、ゆっくりと、顔を上げた。目に、涙が、溜まっていた。そして、生きていたころと、同じ、控えめな、優しい声で、こう言った。

「……そっか。ずっと、そう言われるの、待ってたんだ、わたし。返事が、ほしかったの。ありがとう。やっと、聞けた」

彼女の姿が、少しずつ、薄くなっていく。成仏する。僕は、罪悪感と、安堵で、涙が出た。ごめん、と、もう一度、呟いた。消えかけたミサキは、最後に、にっこりと、笑って、言った。今までで、いちばん、幸せそうな、笑顔だった。

「いいの。振られちゃったけど、でも、うれしい。だってね、これで、やっと、対等になれたもん。生きてるあなたに、振られた。──それなら、わたしも、あなたを、こっちに、迎えに行っていいよね。恋人じゃ、なくてもいい。同じ場所に、いられれば。ねえ、そうでしょう? 待ってるのは、もう、疲れたの。だから今度は、あなたが、わたしのところに、来てね」。ミサキは、消えた。あれから、彼女は、二度と、姿を見せない。僕は、自由になった。そのはずだ。ただ、あの夜から、僕の部屋の、体重計に乗ると、いつも、僕一人ぶんより、少しだけ、重い。誰かが、僕の背中に、そっと、おんぶするみたいに、しがみついている、その重さだけ、増えている。振り返っても、誰もいない。でも、彼女は、まだ、待っているのだ。僕が、そちらへ、行く日を。──気の弱い僕は、まだ、その一歩を、断れずにいる。