三分怪談

3分で読めるホラー掌編

中編 第十七話 — 読了目安 約10分

代参講

祖母の家に、古い「講帳」が残っていた。

代参講、というものだった。村の全員が遠い霊山にお参りに行くのは大変だから、くじで数人を選び、その者たちが村を代表して参拝する。残りの者は旅費を出し合って留守を守る。選ばれた者は村じゅうの願いを背負って山を登る。昔はどこの村にもあった仕組みだ。

講帳には代々の「当たり」——代参に選ばれた者の名がずらりと書かれていた。年に一度、二名ずつ。何百年ぶんも。そして名前の脇には決まって、こう添え書きがあった。「一名、還らず」と。

僕は祖母に聞いた。どうして二人行って、いつも一人しか還らないのか。祖母は囲炉裏の火を見つめたまま、低い声で答えた。

「代参はな。二人で、行くんじゃ。行きは、二人。けど、山の神さんは、代参に来た者から、一人、『お代』として、留め置きなさる。村じゅうの願いを、叶えてやる、その代わりにな。だから、還るのは、いつも、一人」

迷信だ、と僕は思った。昔の登山は危険で、二人に一人が遭難した。その事実を信仰で包んだだけだろう、と。

祖母は首を振った。

「そうじゃない。──還ってきた一人はな。もう、行きの、その一人じゃないんじゃ。山で、二人は、一人に、『まとめられる』。姿は、還ってきたほうの者。けど、中には、留め置かれたほうの、無念も、一緒に、詰まっとる。だから、代参から還った者は、みな、その年のうちに、人が変わる。夜中に、山の言葉で、うなされる。もう一人ぶんの、名前を、寝言で、呼ぶ」

僕は講帳のいちばん新しいページを見た。そこで心臓が止まりそうになった。今年の「当たり」に、僕の父と伯父の名が書いてあったのだ。

僕は慌てて父に電話した。父は笑った。「ああ、あの講な。もう何十年も、形だけだ。実際に山になんか、登らんよ。旅費だけ出して、代表がお札をもらってくる、それだけの、寄り合いだ」と。

安心した。ただの名ばかりの行事。父も伯父も山になど行かない。

だが、その年の秋。伯父が亡くなった。山でではない。自宅の布団の中で、眠るように。持病もなかったのに、朝、冷たくなっていた。医者は「原因不明」と言った。

葬式の晩、父が僕を隅に呼んだ。ひどく青い顔をしていた。そして震える声で打ち明けた。

「……代参な。行かんかったはずなんだ。俺も、兄貴も。旅費を出して、それで終わり、のはずだった。けどな。先月、俺と兄貴は、二人で、夢を見た。同じ夢を、同じ晩に。……山を、登る夢だ。二人で、雪の道を、登っていく。頂上に、白い着物の一団が、待っとって。『二人来たな。一人、置いていけ』と。俺は、兄貴の背中を見ながら、登っとった。ふと、気づいたら。──兄貴が、いなくなっとった。俺だけが、下って、目が覚めた」

父は続けた。

「あれから、俺は、夜中に、うなされる。聞いたこともない、山の言葉で。そして、自分の口が、勝手に、兄貴の名を、呼ぶんだ。まるで、俺の中に、兄貴の、置いていかれた分が、詰まっとるみたいに」

僕はぞっとした。講帳の添え書きが蘇った。「一名、還らず」。行かなかったはずの代参で、伯父は「留め置かれ」、父が「還ってきた」。夢の中の山で。

父はそれから、めっきり老け込んだ。時々、伯父の口調で喋るようになった。伯父が好きだった煙草を、吸わないはずの父が吸うようになった。まるで二人ぶんの人生を一人で生きているように。

僕はあの講帳を燃やそうとした。この因習を絶つために。だが火にくべた瞬間、講帳は燃えなかった。それどころか、まだ何も書いていない次のページに、ひとりでに墨が滲んで文字が浮かんだ。来年の「当たり」だった。

二名の名。一つは僕の名。もう一つは──父の名だった。

僕はまだ山になど登っていない。旅費を出すつもりもない。だが最近、夜になると聞いたこともない山の言葉が頭の奥で響く。そして夢を見る。雪の道を父と二人で登っていく夢を。頂上には白い一団が待っている。「二人来たな」と。──目が覚めるたび、僕は隣に眠る父の無事を確かめる。まだ二人とも、いる。まだ。だが、いつかどちらか一人しか目を覚まさない朝が来る。そして還ったほうが、還らなかったほうの名を一生、寝言で呼び続けるのだ。