三分怪談

3分で読めるホラー掌編

中編 第十九話 — 読了目安 約10分

留守電

実家の固定電話には、まだ留守番電話機能が付いている。

母が亡くなって一人になった父を、たまに電話で気にかけていた。だが父は耳が遠くなって、電話にもなかなか出ない。だからあたしは留守電に用件を吹き込むことが多かった。「元気にしてる? また、顔出すね」。それだけの。

父が施設に入ることになり、あたしは実家を片付けに帰った。もう誰も住まなくなる家。固定電話も解約する。最後に留守電を確認しておこうと再生ボタンを押した。

録音は二十件、溜まっていた。ほとんどがあたしの声。それから宅配便の自動音声。セールスの録音。

だが後半に、聞き覚えのない録音が混じっていた。日付を見ると、どれも母が亡くなった後のものだった。

最初の一件を再生した。ザザ、というノイズ。それから女の声。

「……もしもし。おとうさん。ごはん、ちゃんと、食べてる? わたしの、鏡台の、いちばん下の、引き出し。あそこに、通帳、入れてあるから。忘れないでね」

母の声だった。間違いない。母の口癖。母の喋り方。だが母は、この録音の日付にはもう、この世にいなかった。

あたしは震える指で次を再生した。

「おとうさん。今日は、寒いから、あったかくして、寝てね。……わたしね、ちゃんと、そばに、いるからね。さみしくないよ。ずっと、この家に、いるから」

一件、また一件。母の声の留守電は月に一度ほどの間隔で残されていた。父を気遣う優しい言葉。あたしは涙が止まらなかった。母は死んでも、父のそばにいたのだ。

だが録音を日付順に聞き進めるうち、母の声の様子が少しずつ変わっていった。

「おとうさん。どうして、返事、してくれないの。わたし、ここに、いるのに。毎晩、あなたの、隣に、寝てるのに。どうして、気づいて、くれないの」

「おとうさん。さみしいの。こっちに、来てよ。ねえ。早く。一人は、いや。ずっと、一人で、待ってるの。冷たいの。暗いの」

声はだんだん切羽詰まっていった。優しさが消えて、すがるような責めるような響きに変わっていった。あたしは聞くのが怖くなった。だが指が止まらなかった。

最後から二件目。日付はつい先月。父が施設に入る、ほんの少し前。母の声はもう、ほとんど悲鳴に近かった。

「なんで、逃げるの。施設に、なんて、行かないで。この家に、いてよ。わたしと、一緒に。ねえ。あなたが、いなくなったら。わたし、誰の、そばに、いればいいの。──いい。じゃあ。あなたの、代わりに」

そこで母の声は、ぷつりと切れた。

そして最後の一件。日付は昨日。あたしがこの家に着いた、その日。誰もいないはずの、この家の固定電話に残された録音。

再生する。ザザ、というノイズ。長い沈黙。それから母の声がひどく穏やかに言った。まるで目的を果たした者の安堵のように。

「──ああ。よかった。あなたが、来てくれた。おとうさんは、行ってしまったけど。かわりに、あなたが、この家に、来てくれた。もう、一人じゃ、ないのね。ねえ。ずっと、いてくれるよね。この家に。わたしと、一緒に。だって、あなた、もう、玄関の鍵、閉めたでしょう」

あたしははっと玄関を見た。片付けのあいだ開けっ放しにしていたはずの、玄関の引き戸が、いつの間にか、ぴたりと閉まっていた。内側から鍵がかかっていた。あたしは鍵をかけた覚えがなかった。

再生機の液晶に表示が出た。「新しいメッセージが、一件、あります」。今、たった今、録音された一件。あたしはまだ押していないのに。

あたしは再生ボタンに指を伸ばした。伸ばしながら思う。この家の留守電は、あたしがいなくなった後も、きっと鳴り続ける。次に、この家を訪れる誰かのために。母の声で優しく、こう吹き込みながら。「一人は、いや。ずっと、ここに、いてね」と。──押すべきか、押さざるべきか。あたしの後ろで、鏡台のいちばん下の引き出しが、ひとりでに、かたりと開く音がした。