口笛
2026.08.28
子どもの頃、自分だけの歌を作った。
誰にも教えたことのない四小節の短い旋律だ。眠れない夜に頭の中で繰り返す、お守りみたいな歌。楽譜にも書いていない。口に出して歌ったことも、たぶん数えるほどしかない。
先月の夜、残業帰りに公園を突っ切ろうとして足が止まった。
誰かが口笛を吹いていた。
あたしの歌だった。四小節、寸分違わず。旋律は暗がりの奥、公衆トイレの裏あたりから聞こえていた。あたしは確かめずに走って帰った。
口笛はそれから何度も現れた。マンションの駐輪場で。コンビニの外で。決まって姿は見えず、決まってあたしの歌だけを繰り返し吹く。
友人に相談すると、笑いながらこう言った。「子どもの頃、誰かに聞かれてたんじゃないの」。それだと思った。思って、すぐに血の気が引いた。
あの歌を作ったのは祖父の葬式の晩だ。田舎の家の仏間の隣の部屋で、眠れずに布団の中で小さく歌った。あの家であの晩、あたしの歌を聞けた者がいるとしたら。
ゆうべ、口笛はとうとうマンションの廊下まで来た。うちのドアの前で四小節。それが終わると少し間があって、初めて聞く旋律が続いた。
五小節目だった。
あたしの歌に続きが作られている。向こうは何十年もかけて、あの歌を育てていたらしい。ドア越しの口笛は五小節目を三回繰り返して止んだ。覚えろ、ということだと思う。——覚えてしまったら、次はたぶん、一緒に歌う番だ。