おすそわけ
引っ越してきた日、隣の部屋の人が挨拶に来てくれた。
五十がらみのふくよかな女の人だった。いつもにこにこしていて、本当に親切だった。「作りすぎちゃって」と言っては、煮物や、から揚げや、炊き込みごはんをタッパーいっぱいに分けてくれる。ひとり暮らしのあたしには、ありがたかったし、味も文句なしに美味しかった。
その日も、もらった筑前煮を夜にひとりで食べていた。ごぼう、にんじん、れんこんの優しい味つけで、箸が進んだ。そのとき、奥歯でガリッと硬いものを噛んだ。小石でも入っていたのかと思って、口から出してみた。
手のひらに乗っていたのは、小さな白い欠片だった。表面に縦に細い溝が入っている、なにかのかけらだった。しばらく見て、気づいた。爪だった。人の爪の先で、それもずいぶん小さく、子どもの爪のようだった。
あたしは吐き気をこらえ、手が震えた。でも、きっと調理中に、あの人の爪が剥がれて混じっただけだと思おうとした。翌日、タッパーを返しに行ったとき、あたしはさりげなく聞いてみた。「お子さん、いらっしゃるんですか」と。
女の人は、にっこり笑って答えた。
「ええ。いますよ。かわいい子が、ひとり。もう、ずーっとうちにいるの。外には、出さないの。あんまり、かわいいから」
その笑顔は、少しも崩れなかった。あたしは愛想笑いを返して、逃げるように部屋に戻った。それから、おすそわけは丁重に断るようにした。
でも、親切はやまなかった。断っても、ドアの前にタッパーが置かれている。「どうぞ」と、付箋が貼ってある。中身は、いつもあたしのその日食べたかったもので、まるで冷蔵庫の中を見ていたようだった。
先週から、隣の部屋がやけに静かになり、あのにこにこした女の人を見かけなくなった。かわりに夜中、壁の向こうから子どもの声が聞こえるようになった。小さな、くぐもった声でこう言うのだ。「おばちゃん、やっといなくなったね。こんどは、おねえちゃんのばんね」。──今朝も、ドアの前にタッパーがあり、付箋の字はたどたどしい子どもの字だった。「ちゃんと、たべてね。のこしたら、めっ、だよ」。